はじめまして、こんにちは!hanaです。
この度は私のブログにお越し頂き、ありがとうございました。
こんにちワン!マルチーズの女の子ペルルです。
よろしくね!
私は現在、ジュエリー作家を営みながら愛犬ペルルと暮らすアラフォーママです!
今でこそ毎日ペルルと楽しく過ごしていますが、ペルルは大阪の保護犬CAFE鶴橋店から引き取った保護犬だったんですね。
ペルルと初めて出会った時の写真がコチラ!
この時は体重2.7kgとガリガリに痩せこけていました。
さらに手足と口周りはストレスの舐め癖で赤茶に変色してしまうほど弱っていたのです。
体調も悪く、食欲も無く、とにかく毎日心配で仕方ありませんでした。
そんなペルルをお迎えして、一年後・・・
今ではこんなにふっくら真っ白フワフワ美人~♪
変色した毛はトリミングでカット、きれいなツヤツヤ被毛となり、体重も1㎏増量!
肉付きもしっかりして、元気いっぱい家中走り回っています(笑)
この元保護犬ペルルとの出会いをきっかけに、私の人生を大きく変わりました。
そんなわけで、私の自己紹介と、元保護犬ペルルを我が家にお迎えするに至ったお話を致します。
どうぞ最後までお付き合いくださいね!
本業はジュエリー作家です!
私は現在、オーダーメイドでジュエリーを制作する、オリジナルジュエリー作家をしています。
大阪を中心に活動し、現在は自宅兼アトリエを構えて、ジュエリー制作や彫金教室を営むことに。
こちらは我が家の看板犬ペルル(店長)♪
ペルルはアトリエの彫金教室看板犬として、今や堂々とアトリエの店長さんを務めています。( •̀∀︎•́ )✧︎
アトリエに来ると真っ先に大歓迎するお仕事をしていますよ(笑)
そんな私とペルルは、現在お家でマイペースにお仕事しているわけなのですが・・・
実は、私は20代のときに沖縄へと移住し、とても苦しいジュエリー制作の修業時代を過ごしたのです。
20代夢の沖縄移住生活
私は、1978年大阪生まれの大阪育ちで生粋の関西人。
昔から絵やレゴブロック、紙粘土でお菓子や食べ物を作って遊ぶことが大好き!
紙粘土のお菓子を作って食べてしまう工作好きな女子でした。
そんな私でしたが、芸術大学へと進学したことが作家人生の始まりです。
大学では工芸学科で染織工芸を学び、染色技術を学びながら寝る間も惜しんで作品作りに励む毎日。
これは卒業制作で染色作品のでかいタペストリーを制作発表したときの写真です!
大学卒業後は就職したものの、結局作品作りを諦めきれずに3年で退職しちゃいます。
そのまま勢いで沖縄へ移住を決心したのでした。
知り合いがいたわけでもなければ、頼る人もない。
貯金もなければ、働く場所もない。
今考えるとかなり無鉄砲で怖いもの知らずですよね・・・(;゚Д゚)
どうして沖縄を選んだかと言うと、当時ダイビングを始めて、青い海に囲まれた沖縄の生活にめちゃくちゃ憧れていたから!
「青い海がある街に住みたい!」
こちらは当時私が住んでいた那覇市の写真。
那覇から車で20分も走れば、青い海がそこら中にあったんですよ~♪
観光客がたくさん来る那覇市は、住宅街と観光地が入り混じった街並みなんです。
私も市内の住宅街にあるアパートに住んでました。
よく沖縄と言えばイメージされる赤瓦の家などはほとんどありません。
こちらは引っ越し当日です。
私が住んでた部屋で、那覇市内8畳間が2つとキッチンついてて確か4万円程度。
「沖縄は家賃が安い!」
たしか築20年以上でしたが、大家さんが親切だったので、即決でここに住むことに決めました。
それからというのも海三昧の毎日!
気軽に水着とシュノーケルを持って海に泳ぎに行ったり。
ダイビングをしてみたり。
沖縄を思いっきり満喫していました。
と言っても、ただ遊んでばかりではありませんよ(o^ ^o)
自分の作品制作と、沖縄の伝統文化の勉強にちゃんと励んだりもしました。
私にとって沖縄はワクワクの宝庫だったのです。
ちなみに、これは沖縄にいる間に作ってた作品です。
和紙にカレンダーを染めたり、ハガキを染めたり、タペストリーを作ったり。d(^^)
今もアトリエに飾ってるものですが、こちらも沖縄滞在中に染めた作品です。
ところが、作ったはいいけど売り方が分からない・・・
そもそも、作品発表には展示会に出す以外に、販売するという発想がなかったんですね。
そうなると当然、生活は火の車。
制作どころではなくなっちゃいました。
理想だけで沖縄に来ちゃったものの、生活するのがやっとの毎日。
遊んでばかりだから仕方ない(;´д`)トホホ…
沖縄で何してんの?
そんな沖縄移住生活5年目にして転機が訪れたのです。
偶然知り合いが紹介してくれた彫金の先生のアトリエに遊びに行くことに。
ジュエリー制作を体験をさせてもらえちゃったんです。
先生のアトリエがめっちゃ素敵!
こちらはアトリエのお庭から撮った写真です。
見た目はボロですが、海がお庭の下に広がっている白壁の外人住宅を借りてアトリエにしていました。
出典元:https://www.mag2.com/
外人住宅(↑写真)とは米軍基地のある県ではお馴染みで、もともとは在日米軍の軍人やその家族のために建設された米軍ハウスのこと。
見た目は古くても中が広くてキレイ、家賃がお手頃なので、お店などでも使用される人気物件なのです!
そんな素敵なアトリエに通っている中、先生から思わぬ言葉が・・・
「作品展で出品してみるかい?」
この頃、先生の彫金教室ではすでに展示会開催が決まってました。
なんとその展示会に先生から直々にお誘いを頂いたのです。
もちろん「はい!」と即答したのはいいですが、出せる作品が全くない!(笑)
先生は「これを作ってみたい。」と言えば、絶対にNOは言いません。
「全部やってみなさい」と言う指導方針でした。
そうして私が初めて取り掛かった作品は、実はすごく難しくて細かいデザインだったのです。(^▽^;)
しかし、出すと言った以上、
「これだけは完成させるんだ!」
と毎日寝ずに作品を作って展示会に挑みました。
その結果なんと!!
生まれて初めて、渾身の第一作目が売れてしまうという奇跡が起きたのです!
これです!第一作目でただがむしゃらに作ったシルバーのブレスレット。
ジュエリー制作初心者の私の作品を、なんと15万円の高額で買って頂いたのです!
声が出るくらいビックリしたことは忘れていません。
今回の展示会をきっかけに、一生懸命作った作品を欲しいと言ってくれるお客様が存在することを実感できた私。
嬉しい反面、お客様に満足いただくには、自分の制作スキルがあまりに未熟過ぎる。
このままで本当にいいの・・・?
気づけば私は先生に、
「真剣に学ばせてください!」
展示会を経て私の迷いは完全に吹っ切れ、ジュエリー作家になることを決意。
翌日から早速みっちり先生の工房で修業を始めました。
先生は60歳のときに東京から沖縄に単身で移住されて早10年。
黒い大型ミックスのワンちゃんと一人&一匹暮らしをされていました。
シイナ(わんこの名前)はとても大人しい愛想のイイ子。
生徒たちのアイドル&ボス的存在♪
「海の見えるアトリエが素敵!」
「犬とのんびり制作もしたい!」
いつしか先生の生活は私の憧れとなっていきました。
ただ、作家活動を本格的にやるなら、沖縄で生活するよりも地元大阪に拠点を移そう!と決意。
そして先生みたいに
犬と暮らせるアトリエを持つ!
と夢と希望に溢れて2009年に大阪へ戻ってきたものの・・・
悲惨なジュエリー作家活動がスタート!
大阪に帰って早速、夢見たジュエリー作家がスタートすると思いきや・・・
当時、私はお金も道具も本当にスッカラカンの無一文からのスタート(・ω・)
そもそもの話
作業場がない!
工具や機械もない!
自室に机すらない!
どうすればいいの??(゚A゚ )
というわけで、ジュエリー制作をできる環境作りからスタート。
最初はアルバイトや派遣で働きながら、朝晩は自室でデザイン描いたり基礎練習から始めました。
そして少しずつ工具を買い集め、同時に大型機械が使える工房を探す日々。
土日やアルバイト終わりに、大阪市内で見つけた工房まで行き、作業を進めるクタクタの生活でした。
平日の朝夜は、寝室の狭い机に道具を広げてコツコツと制作。
もっぱら寝る場所は工具や道具の隙間にまるまって、睡眠時間は1日3時間と電車の移動時間のみ(;゚Д゚)
今思えば、埃だらけの部屋で体も痛い。
道具箱の隙間で寝ていたので、地震がきたらヤバかったかもしれませんね(>∀<)
そんなときに、一人の男性とお付き合いが始まることになったのですが・・・
辛い別れでジュエリー作家活動が加速!
当時まだ年齢も30代前半の私。
一番「お付き合い=結婚」を意識するお年頃ですよね。
しかしこの男性・・・
なんとその正体は、
とんでもないモラハラ男子!
会うたびに
- 私は生きている価値が無いダメ人間
- ダメ女の面倒を見れるオレは最高
- ゆえに自分に尽くしなさい
という意味不明の考えを毎日毎日刷り込まれていました。
次第に束縛や監視もきつくなり、せっかくのジュエリー制作活動も、邪魔され始めてきたのです。
「早急に別れなければヤバイ!」
「このままでは人生終わる!」
しかし、その時すでに私一人ではどうにもできない状態でした。
なので友人に手助けを得て、速攻で無事にお別れすることができたのです。
別れたあとで冷静に考えてみたら、
「なんでこんな人と付き合っていたの?」
「絶対見返してやる!」
それからの私は仕事に没頭していきました。
海外出展にも成功!
その後吹っ切れた私は、まずは関西のイベントから出店し、経験値をつむことに。
とりあえず前進するために、目につくイベントに片っぱしから申し込み、出店を繰り返していました。
こちらは京都のハンドメイドイベントにて着物作家の友人にお誘い頂き、一緒に出店した京都のイベント風景です。
京都出店は知らない人が多いにも関わらず大盛況!
その後、少しイベント出展にも慣れてきたので、大阪の超大型アートイベント「手作りアートバザール」に初出展しました。
高さを出す工夫をしてディスプレイしましたよ。
来場者数何万人という噂は聞いていましたが、本当にたくさんの出会いがありました。
そうして少しずつ経験を重ねては、ディスプレイや販売方法を学びます。
やがて、最終的には名古屋や東京の大規模イベント遠征もしていきましたよ!
こちらは始めての東京イベント出店です(*>ш<*)
周りの作家がみんな東京に行ってるから、とりあえず私も行こう!的な気持ちで行ったんですよね。
久しぶりに関東圏のお友達がたくさん遊びに来てくれたんですよ~(o^ ^o)
そんなイベント出展を繰り返したある日、口コミで私のオリジナル作品が注目されることに!
当時はまだ珍しかったイヤーフックに装飾をたっぷり着けて、耳全体を飾り付けました。
「色耳掛(イロジカケ)」シリーズと命名してFacebookで発表したんです!
これがまたたく間に評判が広まっていき、全く知らない人がコメントくれたり、問合せが大殺到!!
イベントに出ると、このイヤーフックを見にお客様が大勢集まってくるほどになったんです!
この時から、お声がけくださるバイヤーさんも増え、直接出店依頼を頂けるように。
ギャラリーでの個展依頼や百貨店出店など、少しずつ販路は増えていきました。
さらにはアメリカNYで開かれる、日本人の若手アーティストを集めた展示会に参加することにも成功!
日本の企画会社発信のNYギャラリー展示会に、2週間参加させてもらいました。
現地でカタコトですがなんとかお客様と会話をしてご感想を頂いたり、NYのお店にて販売頂くことが決まったり。
日本に本社があるギャラリーさんに、ご紹介もしてもらったんですよ♪
私の3週間のNY滞在はたくさんのご縁と刺激を頂いて、大成功で帰ってきたんです。
展示会を詰め過ぎ大失敗!
この時期はありがたくも出展依頼をたくさん頂けて、寝る間も惜しんで制作を続けていたんですよね。
そんなことをしていたら、一度過労でぶっ倒れてしまいます(笑)
こちらは大阪うめだ阪急百貨店で出店させてもらったときです。
この年はほぼ毎月どこかに出店するほどの忙しさでした。
言い訳になっちゃいますが、この時本当に出展依頼を詰め込んでいたんです・・・。
その結果、あるお客様からのオーダーをすっかり忘れて半年以上放置するという大失敗をしてしまいました。
このままではマズイ!
立て直さねば!
いつの間にか、お客様にご満足いただくことを忘れていた私・・・。
実績ばかりを追って、イベント数をこなす方に意識が向いていたことに気づかされました。
というわけで、この失敗は体力と記憶力には限界があるという教訓になりました。
二度と同じ過ちを繰り返さないように、一人一人のお客様に満足してもらうことを改めて見直したのです。
イベント出展は無理ない程度に減らし、展示会は自分で企画することに。
お客様にゆっくり見てもらえる方法にシフトチェンジしていきます。
最初は自信が無くて怖かったけど、自分で個展を企画していきました。
大阪や神戸を中心に、年に数回作品発表を重ねると、徐々に多くのお客様から反響を頂けるようになったんです。
お客様一人一人とお話し、ゆっくり過ごしていただける展示会中心の活動に移行していきました。
現在はカウンセリング型で活動!
現在ではカウンセリング重視で受注制作する販売スタイルを完成!
お客様のライフスタイルや願いをデザインにするフルオーダーメイドジュエリーを作って、お客様を笑顔にしちゃってます♪
↑これはバーの一室を借りて、ジュエリーデザイン相談会を開催している時です。
目の前でデザイン画を描いてお渡ししているところ。
おかげさまで現在は、年に数回の個展開催や出店、またリピーター様の紹介でファンが少しずつ増えました。
そしてお客様のご希望に沿う完全オーダーメイドジュエリー作家として活動しています。
最近は使わなくなった古い指輪やブローチの石を外して新しいデザインに復活させる、リメイクオーダー依頼が増えてます。
お客様にはジュエリーが蘇ったことで大変喜んでもらえて、今一番やりがいを感じるお仕事です。
今では、祖母が住んでいた家を借りてアトリエを構え、ジュエリー制作のかたわらに彫金教室を開いております。
ジュエリー制作を習いに来る生徒さんも少しずつ増え、沖縄で先生に教わった技術を大阪でも広められるようになりました。
ただそんな今でも、心残りはずっとありました。
「愛犬の暮らすアトリエの夢!」
「今こそ叶えるんだ!」
そんなある日のこと、叔母の言葉をきっかけに保護犬の存在を知ったのです。
保護犬ペルルの里親に!
かくして犬を飼う一大決心をして、私はどんな犬と暮らしたいのか改めて考えることに。
具体的に犬を探すために、まず最初に調べたのがペットショップでした。
犬はペットショップで買ってきて子犬から育てるもんだと思い込んでいた私。
実際にペットショップにいってみると、子犬の価格は15~45万円と高額なことに驚きました。
しかも、少しでも成長すると売れ残っちゃうという事実も見てしまってWショック!
まるで成長することは価値が無いと言われているような現実がそこにありました。
さらに、積み重なる狭いショーケースに入れられている子犬の姿を見て、なんだかペットショップに対して言葉にできない違和感を感じてしまったのです。
考え込んでしまった私をみて、たまたま遊びに来ていた叔母が運命の一言を発したのです。
「保護犬はだめなの?」
「保護犬の里親」という選択肢を全く持っていなかった私にとって、この言葉は衝撃でした。
それどころか、保護犬がいったいどういう犬たちなのか全く解ってなかったのです。
里親を待つ保護犬たちの現実!
世の中には様々な事情でたくさんの保護犬が里親を待っていることを知り、実際に譲渡会に行きました。
飼い主さんの事情でどうしても飼えない状況になった犬もいれば、飼い主不明の迷子犬もいます。
さらには飼育崩壊でレスキューされた犬や、老犬になり介護が必要で捨てられた犬など・・・
まだ子犬の方が引き取り手はありますが、このような成犬は里親探しが困難というお話でした。
かくいう私も子犬から飼うものと思い込んでいるうちの一人。
この悲しい事実を目の当たりにして、胸を痛めてしまったんですね。
保護犬CAFEでペルルの里親になる!
しかし諦めきれずに、「毎日が譲渡会」大阪の保護犬CAFEにも通いました。
保護犬CAFEは定期開催している譲渡会とは違い、常に10頭前後の保護犬がカフェ内で放し飼いにされています。
一番驚いたことは、犬たちがみんな明るく元気で、暗さが一つもなかったことでした。
ここには悲しい事情で来たのかもしれない。
でも、犬たちは、毎日ひたむきに生きることを望んでいるんだ!
私は彼らの生命力に感動して、やはり保護犬の里親になろうと決めたのです。
しかし、いざ保護犬の里親になると決めてから、1匹だけを選ぶのが難しい・・・
できない理想を抱いていても仕方ない。
ちゃんと1匹を選んで、その子を精いっぱい幸せにしようと決心します。
そうして毎週保護犬CAFEに通ったある日、一匹のマルチーズと出会ったんです。
しかし、他の元気な犬たちと違い、隅っこに隠れたまま全くフロアに出てこようとしません。
元気はなくガリガリでしょんぼりなのに、真っ黒の瞳でこちらの様子を少し伺っては、すぐに顔を伏せてしまう。
心配もありましたが、不思議とそのマルチーズから目が離せませんでした。
これが私とペルルの出会いだったのです!
しかしその後、ペルルはすぐに病院へ連れて行かれたので、私はわずかな時間しか触れ合うことがきませんでした。
もう一度あの子に会いたい!
それから毎日ペルルのことが気になって、仕事も手に付きません。
1週間後、私は再び保護犬CAFE鶴橋店を訪れました。
すると、前と同じ場所にいるペルルの姿!
結局、不調は原因不明で、体調は以前のまま変わらず。
なのに、また隅っこからキラキラの瞳で、ペルルはじっと私を見つめていました。
「これは運命に違いない!!」
私はすぐさま覚悟を決めて、ペルルをお迎えすることを決意!
スタッフさんにも強く「私ならいける!」アピールをして無事に里親審査に合格しました!
これで晴れてペルルの里親になることができたのです!
迷子犬の8割以上がおうちに戻れません!
お家に連れて帰るとすぐに「ペルル」と命名!
マルチーズの真っ白さからとったフランス語で「真珠」を意味するんですよ♪
さぁ!これから念願の愛犬との生活で、楽しいことばかりが起こると思いきや・・・
私はある大失敗をしてしまったんです!!
不注意からのペルル脱走事件!
ペルルをうちにお迎えした当初、お腹が弱っていたりアレルギーなど満身創痍でした。
しかも、声帯を切除されていて声が出ないことも判明。
今までどんなつらい生活だったのか・・・
絶対に私がペルルを守るんだ!
しかし!そこまで考えたにもかかわらず、肝心なことをすっかり忘れていた私・・・
そうなんです!
ここまで首輪のことを全く考えていなかったのです。
その事件は約半年後の真夏日、ペルルとの生活にも慣れてきた日に起こりました。
その日は自宅でトイレのリフォーム工事が入っていたのです。
工務店さんが出入りするため、玄関と門扉の両方が開けっぱなしに!!
普段両方とも開けっぱなしのことはないので、私は完全に油断していました。
「怖がりのペルルなら大丈夫だろう。」
私が家事をしている少し目を離した隙に、ペルルが家から脱走してしまったのです。
まず両親が、ペルルが家に居ないことに気づき、私はすぐさま探しに走りました。
幸い10分程度で散歩道を歩いているペルルを発見!
すぐに捕まえて事なきを得たのですが、その場所は大通りまで数十メートル。
(↑捕獲されてなぜかご機嫌のペルル(笑))
なんと避妊手術直後で傷舐め防止保護具を付けたまま逃げ出してたんですよ~(汗)
いつも私の後ろをくっついて歩き、普段は自分がいく部屋にしか入ろうとしないのに、なんで!?
と、パニックで怒りそうになったけど、これは完全に私の責任。
「なぜ、ペルルなら勝手に外に行かないなんて思ったんだろう?
それ以前に、どうしてペルルが迷子になるはずがないと思っていたのだろう?」
私は飼い主初心者のくせに慣れてきたことに慢心して、あやうく愛犬を事故や迷子にするところでした。
そこでやっと気づいたことは、万が一愛犬が迷子になったときの対策を何もしていないこと。
脱走して仮に無事保護されていたとしても、当時のペルルには連絡先も何もついていない。
もしケガをして動物病院に運び込まれたとしても、この辺何軒も病院はある。
保護されて飼い主が分からない迷子犬がどうなってしまうのか・・・?
私は愚かにも、考えたことすらなかったのです。
保護動物の現実
出典元:大阪市HP
私の地元、大阪市の迷子犬についての状況を調べてみると、令和2年大阪市動物保護施設で保護された犬収容数は63頭です。
そしてこの63頭のうち、飼い主に返還されたのはわずか10頭で約15%!
なんでそんなに低い数字なのかというと、
出典元:民間ネット調査「大阪市における動物の愛護及び管理について」の結果について
大阪市では、「迷子札は必要ない」と思っている人が最も多いからです。
必要ない理由の多くは、
「室内飼いなら迷子札は不要」
でもそれって実は、大きな誤解なんですよ。
迷子犬の8割がお家からの脱走だと言う事実はご存じですか?
地震や台風などでお家が壊れて、愛犬が逃げてしまう万が一の事態ももちろん怖い。
しかし、愛犬の脱走は意外と身近なことなんです。
飼い主不明の犬の死体は行政で処分!
出典元:大阪オープンデータポータルサイト
愛犬が迷子になって最悪の場合、死んでしまうことだってあります。
大阪市で、飼い主不明で道路や道端で死んでしまった犬の処理件数は、令和になってもまだ43件もありました。
飼い主不明の動物は行政に連絡すると無料で処分されます。
カラスなど野生動物の死骸と共に焼却処分され、灰は埋め立て地に運ばれるとのこと。
もし愛犬が脱走して、事故やケンカなどの負傷で独りぼっちで死んでしまった場合、こんな最期を迎えてしまいます。
ご自分の愛犬が死んでしまったことも分からず、会うこともできず、知らない間に処分されていたとしたら・・・
迷子犬が唯一お家に帰れる命綱!それが迷子札!
当たり前ですが、犬が迷子になったときに飼い主の名前や住所は言えません。
私のように、予期せぬときに脱走してしまうことや、それこそ災害で離ればなれになってしまうことは残念ながらあり得ます。
そんな愛犬のピンチを救うのが迷子札なのです。
にもかかわらず、迷子札の普及率は低い。
だからこそ今の私ができることは何があるかを真剣に考えました。
考えた結果、私が動物も安心して暮らせる社会のためにできることはこれだと確信したのです。
- 自分の犬を迷子にしないために、迷子札を作って広めること
- 責任をもって里親としてペルルを終生飼育すること
- ペルルを通して、保護犬の魅力を広め、里親も選択肢の一つという考えを広めること
ペルルと出会わなければ、保護犬について私は一生目を背け続けていたでしょう。
彼女が保護犬の存在を教えてくれたおかげで、私が社会のためにやるべきことが見つかりました。
私が迷子札を作って広めることは、
「迷子犬を減らす=保護犬を減らす」
と考えています。
あなたの想いを迷子札にしてみませんか?
そこで私は、これまでの人生で培ってきたジュエリー制作の技術をフル活用して迷子札を作りました。
ママさんたちの想いが詰まった世界で一つの迷子札をご提案させて頂きます。
実際にオーダーされた方からも感謝の言葉をたくさんいただいています。
私の想いが少しずつママさんたちに広まっていることに、喜びを感じています。
■北海道在中のLさん
■東京在住のAさん
現在は、お客様がお悩みを相談してくれることで、一人一人の愛犬とのライフスタイルに寄り添う機会を頂いています。
皆様に喜んでいただけることは、私にとって感謝しかありません。
愛犬を独りぼっちにしないでください。
もし、これを読んでくださっているあなたが
- 迷子札はやはり必要!
- 世界で一つの迷子札が欲しい!
- 愛犬のためにオーダーしたい!
と思ってくださったら、私はとても嬉しいです♪
あなたの大切な愛犬のために、ぜひあなたの想いを迷子札にしてみませんか?
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
ぜひ、お気軽にコメントやご相談をいただければ嬉しいです(^^♪
hana&ペルルでした。